逗子市の概要
神奈川県東南部、三浦半島の付け根に位置。三方を緑の丘陵が囲み、西側は相模湾に面し、波静かな遠浅の逗子海岸が広がります。このように、青い海と緑の山々に囲まれ、風光明媚で温暖な気候にめぐまれた住宅都市です。また、市を地図で見ると、魚の形をしている事でも知られます。
横須賀線開通、葉山御用邸造営とともに明治の名士の別荘地になり、以後、豊かな自然に恵まれた住宅都市として発展。首都圏にも近いことから、東京・横浜のベッドタウンとリゾートの性格を併せ持ちます。また、新興の高級住宅街として、また、近隣の鎌倉・葉山などのように海水浴場のある観光都市としても知られ、夏になると30万人を越える海水浴客が訪れると言われます。
しかし、少子高齢化のため人口は頭打ちとなっており、平成18年(2006)神奈川県の市では、最も高齢化率が高くなっています。
逗子のあゆみ
逗子が歴史に出てくるのは奈良時代。沼浜郷という名前で見受けられ、中世には治須郷、厨師郷と言う地名で登場します。
鎌倉時代の正史「吾妻鏡」に、多古江川(現在の田越川)の名が多々見受けられます。頼朝が建久5年(1194)に寺院参拝した後、多古江川周辺に足を伸ばしたことなどが同書に記されています。鎌倉の辺境の地でもあり、芦萩が生い茂っていたといいます。また、多古江川は処刑場であり、平清盛六代子孫の六代御前や、承久の乱で上皇側に加担した三浦義胤遺子らがここで処刑されています。
ちなみに、のちの明治時代に、逗子の前身となる「田越村」の名は、「田越川」に由来しています。
逗子を含む三浦半島一体は、中世には頼朝の挙兵に従った三浦氏の領国でしたが、永正13年(1516)、三浦氏が滅亡すると小田原北条氏の所領となります。戦国時代には、三浦半島は北条氏の水軍の本拠となりましたが、天正18年(1590)に北条氏が滅亡すると、徳川家の所領となります。
江戸時代になり、市域は厨師郷から近世行政村である小坪、久野谷、柏原、池子、山の根、逗子、桜山、沼間の八か村に分割されます。ほぼ天領に近い支配体系で、伊豆の魚を船で田越川上流まで運び、そこから陸路で江戸築地まで魚を運んだという漁業通運によって、潤った裕福な村々であったとされています。
明治期からの発展は早く、明治22年(1889)4月1日、市町村制施行により、桜山村、逗子村、山野根村、沼間村、池子村、久木村、小坪村が合併して三浦郡田越(たごえ)村が発足。同年、横須賀線が開通し、逗子駅が開設されると同時に、相模湖から横須賀まで水を引く水道道という官道が通り、明治26年(1893)には葉山御用邸落成に伴い、行幸道路が造成されると、外国人や政治家、実業家の別荘地として急速に開かれていきます。また、徳富蘇峰、蘆花兄弟をはじめ、国木田独歩、寺田寅彦、石黒直悳などの有名人が訪れ、徐々に避暑客を増加させていきました。
特に、徳富蘆花が逗子を舞台にして書き上げた小説「不如帰」が明治33年(1900)初版を出すと、たちまちベストセラーとなり、この小説を読んで、はるばる逗子を訪ねる人が跡を絶たなかったといわれます。このように、逗子や葉山が夏の避暑客で賑わうようになると、明治39年(1906)逗子駅は改築され、本通りには商店街も形成され、明治45年(1912)には、逗子海岸で初の海開きが行なわれ、本格的な海水浴場として知られるようになります。
大正13年(1924)4月1日、田越村が町制を施行し、逗子町と改称。昭和5年(1930)4月1日には、湘南電気鉄道(後の京浜急行電鉄)逗子線が開業、湘南逗子駅も開設と、日本でも有数の早期開発を遂げてきましたが、昭和18年(1943)4月1日、戦時下において、横須賀市へ強制合併。しかし戦後、昭和25年(1950)7月1日、住民の総意により、横須賀市より久木、小坪、山野根、新宿、逗子、桜山、池子、沼間の各地区(旧逗子町域)が分離独立し、三浦郡逗子町が再置されます。昭和27年(1952)、横須賀線にさらに東逗子駅が開設され、昭和29年(1954)4月15日には単独市制が施行。県下9番目の市として、逗子町から現在の逗子市が誕生しました。
そして現在では、海と山などの自然、歴史的風土と、逗子マリーナに代表されるように、首都圏近郊のマリンリゾートの地として、また湘南新宿ラインを利用すれば、新宿まで1時間強と、通勤・通学にも無理がないため、リゾート気分でゆとりある毎日を送りたい人にぴったりの住宅地としても人気があります。
逗子の名前の由来
逗子の名称起源については諸説ありますが、「當地の古刹延命寺に、行基自作と傳ふる延命地蔵尊あり、それを安置する厨子(長さ三尺五寸)弘法大師下野の國二荒山登参の砌、當地に立ち寄り設けられしものにして住民尊信の標的となりたければ、何時しか此土地を称して厨子と呼ぶに至ると傳ふ」といういわれがあります。この「厨子」が変じて、「逗子」となったという説が有力とされています。
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逗子市郷土資料館 |
| 住所: |
逗子市桜山8-2275 [地図を見る] |
| 電話番号: |
046-873-1741 |
| 開館時間: |
9:00〜16:00 |
| 休館日: |
毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始(12月28日〜1月3日) |
| 入館料: |
大人100円、小・中学生50円 |
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